政治家としての思い

私が政治家を意識したのは、菅直人厚生労働大臣が多くの人が苦しんでいた薬害エイズにおいて、その責任を国に認めさせた時です。

政治家が正しいことをすれば多くの人が救われる。

そんな感情が沸き上がり、胸が熱くなった記憶にあります。

大学を卒業後、サッカー選手として社会人生活をスタートさせましたが、2年であきらめ、IT企業のサラリーマンとして第2の社会人生活をスタートさせました。

サラリーマン時代は、すばらしい仲間に恵まれ、猪突猛進に働きました。そして職場結婚をし、子どもにも恵まれましたが、共働きのなか、息子が保育園に入れないという経験をしました。世にいう待機児童問題です。

会社では課長にも昇進し、順風満帆なサラリーマン生活でしたが、政治家になってこの状況を打開したいと考え、会社を退職し退路を断って、生まれ育った越谷で市議会議員選挙にチャレンジすることを決意。そして無事当選し、議員生活をスタートしました。

選挙直前の東日本大震災、当選後は熊本地震、そして台風やゲリラ豪雨の多発による水害、私は、越谷市で昔から一番水害に悩まされていた弥栄地区に住んでいたこともあり、まさに議員としての10年は危機管理の強化に努めました。また、超高齢社会のなか、高齢者の移動手段の確保についても力を注いできました。

そして、私はスポーツ少年団の本部長や、サッカーチームの代表をつとめ、多くの子どもたちやその保護者の皆様と接してきました。

子育て、教育、学校生活、発達障害についてなど多くの話を聞いてきましたが、やはり将来を担う子どもたちが何よりを過ごしやすいまち越谷を継続していかなければならないと強く決意しています。

是非、こうした活動をもっと推し進めていくためにも皆さんにご支援の輪を広げていただきたくお願いいたします。

越谷生まれの越谷育ち(経歴)

◆名前
 福田 晃(ふくだ あきら)

◆座右の銘
 継続は力なり

◆趣味
 写真、書道、赤色のグッズ集め

(パーソナルカラーは赤)

略歴
 1975年 越谷市にて生まれる。(昭和50年)

 1982年 清浄院幼稚園卒園
 1988年 越谷市立桜井南小学校卒業
 1991年 越谷市立越谷北中学校卒業
 1994年 埼玉県立越谷北高等学校理数科卒業
 1998年 法政大学法学部法律学科卒業
 1999年 サッカーチーム 水戸ホーリーホック退団(入団は1997年)
 2000年 現:伊藤忠テクノソリューションズ㈱(東証一部上場)
 ⇒ IT企業のサラリーマンとして10年勤務
 ※ 当時:事業部最年少課長 社長賞などを受賞

 2011年 越谷市議会議員選挙初挑戦そして初当選
 2015年 越谷市議会議員選挙初2期目当選
 2016年 空き家管理などを手掛ける㈱サン・エフ・プロジェクトを起業
 2019年 一般社団法人越谷フットボールクラブ代表理事に就任
 2019年〜 越谷市議会議員選挙初3期目当選
   日々の活動に邁進中

◆家族
・妻、長男、次男、チワワ2匹

地域の一員として

◆地域の一員として
 ・越谷市スポーツ少年団本部長
 ・越谷市サッカー協会副会長
 ・越谷フットボールクラブ代表理事

 ・越谷消防団新方分団第2部所属

 ・新方地区コミニティ推進協議会
 ・新方地区子ども会育成連絡協議会役員
 ・元弥栄4丁目自治会副会長

 ・越谷青年会議所OB
 ・越市商工会議所青年部

 ・青少年育成越谷市民会議理事

多くの専門知識(福祉、環境、防災、IT、教育)

◆資格
 ・社会福祉士
 ・環境経営士
 ・防災士
 ・基本情報技術者
 ・ITコーディネータ(2007~2008年保有)
 ・情報セキュリティマネジメント
 ・宅地建物取引士
 ・日本体育協会公認スポーツリーダー
 ・スポーツ少年団認定員
 ・色彩検定UC級
 ・終活カウンセラー(上級)

サッカー選手として

水戸ホーリーホック時代の写真です。

※最前列の左から4番目、背番号27番が私です

◆サッカー選手としての経歴
 ・越谷フットボールクラブ(小1~小6、社会人)
 ・越谷北中学校サッカー部(埼玉県代表選抜選手)
 ・越谷北高等学校サッカー部(埼玉県代表選抜選手)
 ・プリマハムフットボールクラブ土浦
 ・水戸ホーリーホック【現:Jリーグ2部所属】

  ★主な成績  
 ・全国社会人サッカー選手権大会優勝
 ・福島国民体育大会(国体)サッカー優勝
 ・広島国民体育大会(国体)サッカー優勝
  など三度の日本一を経験